昨20日投稿した記事は,叙述が細かか過ぎたり,逆に説明不足だったため,少々改めた。
〆切が迫っていた経済指標の解説及び論文のリライを先週末,17日の内に提出出来たため,週末は次稿の構想に専念した。まだ筆を執る段階ではないが,構想スライドへの手入れを繰り返す内におおよその骨格が見えてきたように思う。
- 主流派経済学への対峙という観点からマル経の「組み立て」が定昇されて久しいが,他学派と対峙するには学問的主張の明確化・限定,端的には価値論の枠組みの明確化,限定が必要であろう。
- しかし,最近の論調を見ると,「価値の価格化」(特別剰余価値の超過利潤への統合)や「価格の価値化」(流通費用の費用価格への不計上問題)など価値視点と価格視点の混線が見受けられる。しかもこれらの傾向の淵源を探ると,山口の論説,さらに宇野の見解にまで遡り,根が深い。
- そのような中で価値タームと価格タームをハッキリ分ける「価値価格並行論」も見受けられるようになった。そこでは,価値水準の安定性が商品の価値概念から直接導かれる一方,価格に関しては生産技術の客観性から導かれている。別の見方をすれば,従来の労働価値説の理解と異なり,価値概念を労働には絡めずに展開している。そのうえで,価値と価格との関係を,価格、生産価格を単に事後的な均衡価格と捉えるに止めず,売り出し(値付け、交換価値)においても費用価格に平均利潤を加える(マークアップ)が行われると捉えることで抑えている。
- しかしながら,価値水準安定性の根拠(同じ商品には「同じ価値」がある,の意味),マークアップの妥当性,労働の定量性の根拠には疑問が残る。
- 価値世界と価格世界はそのまま一致するわけではい。産業資本限定,競争の程度などその違いと意味を明らかにする必要がある。
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