分科会保谷の原稿〆切まで3日と迫ってきた。
しかし,一向に焦る気配はない。
歳をとったせいか,なるようにしかならないと開き直っている。
報告「資本価値の姿態変換から見た労働の多様性と階梯性」のポイントはこうだ。
「労働の多様性と階梯性」は実は普遍的な生産過程論で既に明らかである。
普遍的な生産過程論でも,生産過程間の連結に係わって「調整」など管理的,あるいは裁量的労働が,生産過程内でも技能教育など裁量的で,単純労働との階層差を生み出す労働の存在が確認できるからである。 資本の生産過程ではそれを資本価値の姿態変換を通して実現する,という関係にある。
その際,「労働の商品化」と「労働力の商品化」という2つの視軸が重要となる。
「労働の商品化」とは労働の結果を仕入れる,いわゆる請負であり,労働の成果こそ指定されも,使用者からの指揮命令は受けない。言い換えると,労働者の本人の裁量性が大きい。これに対して,「労働力の商品化」は使用者の指揮命令に服する。言い換えると,労働者の裁量性は大なり小なり制約される。前者は生産手段と同様に,その価値を生産物に移転する。他方,労働力は本人の下でしか商品化されないため,資本の下では価値を失う。労働力の使途である労働が新たな価値を生み出す関係にある(そのうち労働力の価値を上回った部分が剰余価値となる)。しかし,商品価値の内,価格変動の重心としての価値を生み出すのは,成果との間で量的技術的確定性の高い労働とされている。資本によって投入された単純労働は,資本の効率性原則が適用されて量的に絞り込まれ,成果との量的技術的確定性が高いばかりでなく,追加供給可能性が高いからである。
すると,生産過程論で摘出されたような裁量性の高い労働や追加供給可能性の高い労働は成果との間に量的技術的可能性が乏しく,価値形成労働とは言えない。しかも,労働力を購入した資本の下では価値を失っているから,生産手段のように購入した価値が生産物に移転するわけでもない。資本にとっては丸損である。
これに対して,資本は価値レベルでは,機会やシステムへの代替によって新たな価値を生まない価値非形成労働の比率を下げようとするであろう。しかし,価値の世界は資本には可視的ではない。資本が認識可能な価格論のレベルでは,労働が価値を生むか否かには関心がない。そもそもどちらの労働も賃金は人件費として価格転嫁される。総体としてコストを抑え売り上げを伸ばせば,〔売上総利益(売上総額―費用価格総額)〕が伸びるのであるから,管理的労働内司祭量的労働も賃金を売上高ないし粗利潤率〔=粗利潤÷(固定資本+流動資本)〕に連動させる形で投入してゆくであろう。いわゆる利潤連動型賃金の導入である。
すなわち,普遍的な生産過程においても確認できる「労働の多様性・階梯性」は,資本の価値増殖活動のなかでは,管理的・裁量的労働のシステム代替,あるいはそれら労働への利潤連動型賃金の適用という形で進むのである。
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