論文要旨の改訂

  論文のリライト時には英文アブストラクトの提出も必要になる。

 論文の要旨はすでに提出している。
 しかし度重なる審査,改善要請に応じているうちに構成が大きく変わり(論点を限定し),また説明の仕方,方向性を変えた箇所も多い。
 したがって,要旨をそのまま英訳したのではリライト結果と随分ズレてしまう。

 そこで,論文を読み直して要約を作り直した。
 改めて読み直してみると,度重なる改善要請(質問,指導)にその都度応えたために,話の筋がかなり込み入っている。
 これらに一々踏み込んでいては英訳作業も煩わしくなる。
 ここは決断が必要である。
 「えいやー」と概略,背景,その影響と構成に即して3段落にまとめてみた。
 そのうえで専門用語を英訳した要旨を機械翻訳に掛けたり,専門家に依頼したりした。

 協力も得て2,3日で作業を終えたが,思わぬことに気付かされた。
 構成だけの要旨とは言え,字数制限(300words-600words)には十分収まっているを思い込んでいたが,実際にはその半分程度だった。

 背景,結論の影響について,要点列挙に止めたところを説明文に改めて再び協力をお願いすることになった。

 雑な対応によって二度手間を冒し,迷惑を掛けてしまった。

The unification to excess profit of the extra surplus-value and its influence

Keyword; extra surplus-value, excess profit, theory of production


 最近の,特に宇野派(Uno Group)では,特別剰余価値(the extra surplus-value)を生産論(the theory of production)の相対的剰余価値(theory of  the relative surplus-value)の件では説かず,機構論(the theory of market mechanism theory)の超過利潤(the excess profit)として説く傾向がある。特別剰余価値の超過利潤への統合と言える(the unification to the excess profit of the extra surplus-value)。かつての統合論(unification)との違いは,超過利潤(the extra profit)を新生産方法の普及とともに消滅すると捉えている点にある。

 新統合論(new unification)の背景には,階級視点の社会的再生産論の(social re-production theory),資本のバラツキを認めない代表単数論,宇野弘蔵(Uno Kozou)以来の特別剰余価値(the extra surplus value)を新技術普及費用と捉える考え方があった。

 特に第1の点については彼ら固有の余剰(net products)理解が関与している。すなわち,社会的生産における生産手段(means of production)と労働力(labor power)の回収の仕方の違いにより余剰(net products)の発生を超歴史的にtranshistorically)説き,階級関係の存在と労働者階級(の取得する生活資料の量と彼らが支出する総労働量との間の本源的に弾力的関係(flexibility)から,資本家の取得する剰余生産物(the surplus products)の生成を導き,資本による価値増殖の社会的根拠としている。

 新統合論(new unification)検討の結果として,その理論的影響を3点指摘した。
 第1に,流通論(the theory of circulation theory)と生産論(the theory of production)との不接合である。すなわち,資本による価値増殖(creating surplus value)を資本循環に即さず,階級単位で説明していることは,流通論で規定された価値の姿態変換(metamorphosis)としての資本規定と齟齬を来している。
 第2に,新統合論(new unification)は生産論(the theory of production)で特別剰余価値(the extra surplus-value)を説いていないために,絶対的剰余価値(the absolute surplus-value)生産の限界に逢着した資本が相対的剰余価値(the relative surplus-value)の生産に進む過程で生産性を上げるために技術革新に取り組むという資本・賃労働関係における生産力志向が見失われることになった。
 第3に,機構論(the theory of market mechanism theory)では,諸資本の競争を新生産方法の導入に取り組み超過利潤が減少しやがて消滅するという単一方向で捉え,競争像を平板化させてしまった。



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