国造り前夜---5世紀の王朝

  以下は3月17日にFB投稿した内容。素人の感想丸出しで恥ずかしいが,読み応えがあった本ので紹介したくなった。

休暇?の2冊目、先に読み始めたのはこちら、は古代史。
素人考えでは古代史の謎の1つは越前からの継体天皇の即位。
とはいえ、読み物読まされても、とKindleで検索ヒットした中で研究者による教養書。古市晃『倭国』
やはり背伸びだったのか、1)前提知識ないまま固有名詞浴びると頭混乱。2)対象期間が期待した継体天皇即位の前だった。
怪我の功名か、古代国家成立の事情がよくわかった。
継体天皇の少し前くらいに血縁による即位、万世一系が成立したが、5世紀はまだそうではなかった。多くの王の緩やかな連合体であった。その中でも序列ができていた。王統は複数あっても、倭王を輩出しえた中枢王族ーー王宮は主に奈良盆地、しかも平坦地ではなく軍事拠点として狭隘部ーーに分けられた、倭王にはなれない周縁王族ーー葛城氏、吉備氏、紀氏、王宮は主に京都盆地、大阪湾岸ーーも海外との交易を司るなどして権勢を誇っていた。
5世後半になると、葛城氏等周縁王族が権力の集中が進み、万世一系につながった(継体天皇は『日本書紀』では応神天皇五世の孫)
6世紀には蘇我氏が台頭し、天皇家と姻戚関係を盛んに持ち権力の中枢に登りつめたが蘇我家が倭王になることはなかった。6世紀には国造、屯倉(ミヤケ)、部族制という制度による中央集権化が進んだが、国際的には渡来文化、技術吸収の拠点半島における百済ー任那伽羅)の衰退が背景としてあった。
一読しただけなので雑な要約だが、古代国家の成立をアウトラインは理解できたように思う。


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