この間,秋の学会報告を睨んで初稿を発展させることを心掛けてきた。
と言っても,なかなか煮詰まらないので,文献に目を通してノートを取り直してみたところ,結局,昨秋の学会報告で触れていたことに気付いて,振り出しに戻った感がある。
昨秋の報告準備で気付いたことを文章にしたのが初稿だから当たり前か)
前回触れたように,今秋の報告では,価値タームと価格タームの混線を取りあげる。
その意図は,当然,存在意義が問われている価値論の宣揚にある。
この間,考えてきたこと,価値論の意義を結論のみ示すと,
- 価値論がなければ,資本主義について語れない。
たとえ,資本を「価値増殖の(が自己目的化した)運動体」と規定しても,投入産出の比較から余剰の発生を説くことで済ませているものが多くなっている。しかし,これは単なる「量的増加」であって,価値の姿態変換を通した増殖,すなわち資本の価値増殖を説いたことにはならない。 - 価値ないし価値形成労働を軸に賃労働に限定されない労働の多様性を示すことができる。
労働の定量性を所与の前提にした論稿が多くなっているが,普遍的な生産的労働の定量性と価値増殖目的の,資本の下の価値形成労働の量的性格とは異なる。また,生産物視点,言い換えると合目的的に編成され,定量的な生産的労働以外に,それ自体が目的であるような(家人のため,被災者のための)労働もあり得るが,後者は定量性に乏しい(不生産的労働)。価値という視点から,資本下の労働にも,非市場の活動(非賃労働)にも社会的観点から労働という位置付けが可能となる。 - 生産的労働・不生産的労働の並存という視点からは,家庭内,組織内の役割分担や時間配分に焦点が当たる。
労働力は工場生産物ではないから,定量化=費用化可能で外部に委託可能な生産的労働だけでは維持・再生されない。可能な限り時間が費やされる非定量的な不生産的労働が不可欠となる。生産的労働と不生産的労働を人的に分担する(戦後の,男性片稼ぎモデル)場合もあるが,女性の社会進出が一般化し,成人の多くが賃労働(生産的労働)に携わる場合,その分担,そのための時間の確保が問題になる。
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