経済理論学会第73回大会での分科会報告「価値タームと価格ターム」(大会2日目,2025/10/26)は,事前にコーディネーターNさんからコメントを頂いていたので,それへのリプライも用意していたが,質問は全く予想外の,価値と価格の量的関係に集中したので,上手く答えられたか心許ない。
予想外というのは報告の趣旨は利潤率概念が価値タームで規定されたままで良いか,という点,つまり価値と価格の質的関係にあったのにその点はほとんど問われなかったからだ。しかし,量的関係を不問に出来ないのも確かだ。
戻ってからは,報告準備のために作りだめしていた講義資料がほぼ切れたので,その補充,11月分の講義資料の作成に没頭した。
早速,コーディネーターのNさんから分科会報告を学会誌に載せるため,報告記録を11月上旬までに提出するようにとの要請があった。既に大会前の9月29日までに報告本文と用紙を提出していたこともあり,簡単に済ませられると考えていた。唯一のネックは字数制限が300字と厳しい点。昨日10月31日,山形大学での「経済原論2」の前後の時間を利用して一気に仕上げ,提出した。結局,厳しい字数制限のため利潤率概念に絞ることになった(最初からそうすればよかったという思いも)。
個別的利潤率は一般的利潤率を頂点に下方分散するという小幡氏の「一般的利潤率の規制力」論は,利潤論における粗利潤(売上総額-費用価格総額)の剰余価値への置き換え,「価格の価値化」に立脚している。しかし,利潤概念を生産過程発生の剰余価値に限定する理解は小幡氏に限らない。
その背景は,「次元の相違論の前倒し」,確定性論の費用計上基準屁の適用,剰余価値論の余剰論の組み替えなど競争論に先立つ生産論における,小幡原論に先立つ山口原論における「価値の価格化」にある。
利潤概念の「価格の価値化」の弊害は,資本過剰の発生を労働市場に起因する賃金上昇のみから導出する宇野派資本過剰説の「単因論」に現れている。
今後,Nさんが質疑部分を加えて分科会報告を作成されるだろうから,それを見て自分の報告を振り返り,原稿を再編集したい,と考えている。
コメント
コメントを投稿