学会報告で一番伝えたかったこと,学会に問いたかったことは,
競争論,利潤論における利潤概念が価値タームで説かれて良いのか
ということであった。
これは,前述のように,小幡道昭「マルクスの経済理論」(2014)を承けて,こんにちの主流派と対峙・対話するうえで価値論の守備範囲を明確にするという問題意識に発する。
労働価値説を前提にしなければ理解できない分析では主流派と緩和が成り立たない。
いくら信用論や景気循環論で精緻な理論を構築し,現実を分析して見せても,労働価値説を前提するからそう見えるだけでしょう?,で終わってしまう。
たとえ,資本主義経済の基礎理論,経済学原理論であっても,景気循環論の部分では価値論を前提しなくても理解できる分析を示すべきではないだろうか。
そういう視点で,山口重克『経済原論講義』の第3篇競争論を読み返してみると,
問題の利潤概念規定以外では「価値」という用語自体がほとんど登場しない。
資本の「価値増殖」活動とか,固定資本に投下した資本「価値」の償却とか,市場生産価格について「いわゆる市場価値」とかいう表現が登場するくらいで,これらは「利殖」ないし「労働市場」活動,「減価償却」,「均衡価格」というニュートラルな表現に言い換えても何ら問題はない。商業資本の活動や銀行信用の機構を,あるいは好況や不況の進行を「価値」視点で叙述していない。
つまり,山口競争論は利潤概念以外は価格タームで叙述されており,価値論を採らない学派とも対話可能であろう。
もちろん,競争論を産業資本視点で説くというスタンスは,社会的生産を資本の価値増殖過程として説いた生産論を承けてのことだから,トータルとしては価値論を前提している。
しかし,銀行信用論も商業資本論も個別資本の利潤率増進活動を推進する機構として描かれている,理論的に再構築されているに過ぎず,価値論理解がなければ理解できないというものではない。
つまり,山口競争論における利潤概念は実質価格タームで叙述されているのであろう。
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