対抗する価値論

  更新が途絶えた。なんと50日も。

 なかなか進まなかったせいだ。
 ある程度次の見通しを立てたが,そこから余り進魔ない状態が続いた。

 それはどういうことかというと,
現在,宇野派では価値論の方向が2つに分れているように思う。
「方向」というのは,昨年の経済理論学会問題別分科会「資本主義社会の基礎理論」のテーマであったように,今日,価値論の意義が問われている。分科会報告にあったように,搾取の論証であれば「マルクスの基本定理」で十分であるとすると,価値論の意義はどこにあるか,あるいは必要か,と問題提起されている。
 今日価値論,労働価値説を奉じるものはこのような疑問に対抗する必要がある。

 2つの方向とはこのような価値論の意義に疑問を呈する価値論不要論に対する価値論の積極的主張のことである。1つは小幡先生の価値内在説+客観的価値説であり,もう1つは先月亡くなられた吉村信之信州大学教授の生産論Ⅱ立脚した価値論である。

価値論の積極的意義 価格への量的規制
小幡 価値内在説〔 価格水準の安定性は同種大量商品市場の価値が主因〕 客観的価値説〔生産技術的客観的に規定〕
吉村商品価値の発展した資本が労働力商品化を介して普遍的な社会的生産を包摂することによってはじめて資本主義経済が確立する。
必要生産物連関では補填原理が作用し,価値が価格を規定。価値価格乖離は剰余価値の範囲内(伊藤誠説)
       
 小幡先生の価値実在説や客観的価値説に対しては,今週の経済理論学会の分科会で報告し,ここでも述べてきたように思う。
 故吉村氏の見解に対し,こちらの関心,労働の多様性という観点からの価値論接近した者としてからどのようにかかわるか。

 この点は来年以降に持ち越すことになったが,現時点では吉村氏の主張に以下の2点で疑問を覚えている。
  1. 社会的生産の包摂は資本のみでカバーできるか(非商品経済的,非賃労働的部分「不生産的労働」が必要では?)。また,資本による社会的生産包摂も均質的ではないのでは(価値形成労働だけではカバーしきれないのでは?)
  2. 量的規制を果す労働は普遍的な労働,生産的労働か(労働の定量性は普遍的に認められるものの,価値形成労働はそれをさらに資本によって規律された労働ではないか?,生産的労働すべてが価値形成労働ではないとすれば,その「じゃない」方の生産的労働の意義も明確にする必要がある)


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